映画制作の醍醐味
「映画プロデューサー」というお仕事について教えて下さい。
企画を立てて脚本作りをし、監督、キャスティング、配給を決めてお金を集めて・・・・と。 作品にかかわるすべての事を網羅してコントロールするのが映画プロデューサーの仕事になります。
ただ一言に「プロデューサー」といっても作品ごとで役割は違ってきます。自分で企画して制作する場合もあるし、テレビ局など企業から企画が持ち込まれて、制作のみに専念して作る場合もあります。
仕事内容は多岐に渡るポジション。映画プロデューサーに求められる資質があるとすれば、それはどんなものでしょう。
映画というものは、作ろうと思えばお金さえあれば誰でも作ることができます。でも適正なコストで質の高い作品を作ろうと思えば、その過程で、統括するプロデューサーは知っておかなければならない事はたくさんあります。
技術に関してもしっかりと理解していなければ、カメラマンや録音マンと対等に向き合えませんし評価も出来ません。
様々な事に知識があればあるほど、コストに関しても削減できる可能性があるし良い作品が作れる。興味の有る無しに関係なく「その筋のプロ」と対等に技術的な話を出来るように学ぶ事はとても大切だと思います。
映画にかかわるすべてについて知識がある事が求められる。数億、作品によっては数十億というお金を使って制作するだけに、冷静な判断が求められますね。
例えば、監督から「制作予算を増やしてくれ」と依頼があったとしても基本的に応じません。 なぜなら予算に関する権限は監督の役割ではなく、プロデューサーの役割だからです。
もちろん必要であれば、予算を上げる事もありますが、そうした問題で、時には監督と戦える覚悟もプロデューサーには必要になってきます。
そして何より大切なのは、お客さんがどう観るか、感動してくれるか否かを感じ取る力です。演出を担当する監督はどうしても作品世界に没頭してしまいがちなので、そこをプロデューサーが俯瞰してあげる事が必要になります。
ただ苦労が多い分、仕事の醍醐味も大きいのではないでしょうか。
はい。プロデューサーに限らずですが、仕事を通じていろいろな人と出会えたりや日常生活では出来ないような体験を日々味わえるのは、この仕事ならではです。 あとは「自分が作ったものが世の中に残る」という事。それを観た人たちが良い事も悪い事も含めて評価してくれることですね。
自分のかかわった作品について話題にしてくれたり。時には全然、関係ない場面で自分がかかわった映画について語り合っている人たちを見かけたりもします。
100年前の映画を観て感想を言ったりもしますよね。それを聞くと嬉しいじゃないですか。もしかすると、自分が関わった作品も、100年後に誰かが感想を言ってくれるかもしれない。面白いかどうかはわからないですけど(笑)。
現在はプロデューサーとして第一線に立つ佐倉氏ですが「当初は役者志望だった」とのこと。大学は日本大学芸術学部映画学科演技コースに進みましたが、同級生で現在人気俳優として活躍する内藤剛志氏の演技に衝撃を受け、制作側へと進路を変えたそうです。
大学以外でも、夜は専門学校で演技を勉強していました。そこで分かったのは『役者には才能が必要』ということ。確かに技術も必要ですが、いくら技術を身に付けても駄目なものは駄目。それに気付いてしまった。役者の評価はテストの点数でもなければ、試合の勝ち負けとも違う。
人の心をどれだけひきつけられるか。運動や勉強は、努力である程度まで補えますが、演技で誰かを感動させる世界では、努力で補える余地はあまりに少なく感じました。
結果的に内藤さんとの出会いで味わった挫折が、作る側へといざなった。
「すぐに現場の仕事ができるように」と小さな映画制作プロダクションに就職しました。
最初に任されたのは制作進行でした。いまの制作進行はお茶出しやタクシーの手配などスタッフのケアが主な仕事ですが、僕のころは人手も足りなかったので企業からお金を集めたりタイアップをとったり。時には出演者のギャラ交渉までしました。
当時は休みなどありませんでしたし、給料も5万円。生活費が足りなくて親から仕送りをしてもらっていました。でもつらいと思ったことはありませんでしたし、むしろ大好きな映画の世界の現場で働ける事が楽しくて仕方ありませんでした。
印象深い現場での仕事を教えて下さい。
一時、石原プロにも出向していたのですが、渡哲也さん主演、鈴木清順監督という豪華な組み合わせのCMの撮影現場に立ち会う貴重な体験もしました。 渡さんがお酒を飲むシーンで、鈴木監督はニコニコしながら何度もNGを出した。
13回目の撮影で渡さんが升を投げ、つい照れ笑いをした。そこで監督が「OK!」と。「すごいな」と感動しました。
10日間連続の徹夜作業
プロデューサーになったのは何歳の時でしたか?
30歳の時でした。 きっかけはアメリカの子供向けTV番組のアシスタントプロデューサーをしていた時、プロデューサーが降板した。その代役として急きょアメリカのプロデューサーに指名されました。
最初は断ったのですが納期も迫りどうしようもなく。アメリカ人ディレクターと二人で作業をして、10日間連続で徹夜をして間に合わせました。 いまでもそれは僕の徹夜最長記録です(笑)。
仕事柄、不規則になりがちで睡眠不足になったり体調管理はすごく難しいと思うのですが体調を崩したりはしませんか。
それがそうでもなくて……(笑)。
ベッドに入った瞬間に寝てしまうようなタイプなので、悩みがあって「眠れない」ということはありません。
寝ている途中で目が覚めてしまったりとかは……。
ほとんど記憶にないですね(笑)。
そうですか。現代社会は4人に1人が何らかの睡眠障害を抱えていて、特に40歳を境にして睡眠は劣化して来ると言われているのですが……。
うちの母親はいま90歳ですけど背筋はしっかり伸びていて、料理も自分で作っています。
布団の上げ下ろしも「自分でやらないとボケるから」と言い、絶対他人にはさせない。 それが運動になるから、と(笑)。
佐倉さんの丈夫な身体や良質なねむりを得られる体質は、遺伝かもしれませんね。ねむりや健康に関して非常に頑強な家系!でもそうでなければ映画プロデューサーというタフな仕事を続けられない。
一度だけ起業したばかりの頃、仕事の妨害に遭い、子供の寝ている顔を見ていた時に「大丈夫かな」と心配になった事はあります。 でもそれも一瞬で、それ以来心配事があって眠れないという経験は一度もないですね(笑)
最後に、これからの夢をお聞かせ下さい。
現在も取り組んでいますが、健常者だけでなく視覚や聴覚に障害を持つ方でも楽しめる映画の環境作りがあります。映画を観たいと思っても目で見ることが出来ない、音を聴き取ることができない。そうした方でも楽しめるバリアフリー映画の環境普及に取り組んでいけたらと思います。
ちなみに視覚障害者用音声ガイドの制作は、ナレーターや収録施設が必要で費用も字幕の3~4倍かかるので普及はなかなか進んでいません。
でもある時、自分がかかわった作品で視覚障害のある方でも楽しめる作品を作りました。その方は、成人してから視覚障害になった方です。 作品が終わると「30年ぶりに映画が戻ってきた」と感動して下さった。僕も作り手として感動しましたし嬉しかったですね。
物語だけでなく映画を愛するすべての人たちが楽しめる環境を作る事が夢。
やっぱり、誰かが喜んでくれるというのが一番だと思います。
評価としては映画賞を獲る、ものすごい観客動員数を記録する事も重要ですが、その一方で、愛する人が喜んでくれる、家族が楽しんでくれた、自分の子供に自慢できるような作品を作ることが出来た。といったささやかな喜びを味わえるような作品や、作品を鑑賞できる環境作りをこれからも取り組んでいきます。
編集後記
映画の世界を愛し、これまで数々の作品を手がけてきた佐倉さん。いまなお燃える仕事への姿勢はとても共感ができ楽しい時間を過ごせました。そして、現在は健常者の方だけでなく視覚や聴覚に障害を持つ方でも楽しめる映画つくりに取り組んでいる。映画が内包するエネルギーの活動範囲を広げ、より数多くの人に楽しんでもらえるように取り組む姿に感動しました。ご自身は睡眠状態もよく体も健康ということで睡眠インストラクターとしての出番はありませんでしたが、アドバイスがいらない、皆さんが健康で元気でいる状態がやはりベストな状態だな、と感じました。これからも素晴らしい映画を世に出してくださることを楽しみにしています。
ねむりくらし研究所 高橋幸司