J1復帰を目指す東京ヴェルディ
緑のユニフォームの伝統をプレーで伝える44歳
徹底した自己管理がいまもピッチに立てる理由
後編


睡眠時間を含めたコンディション作りの大切さ、体のケアの大切さに早く気付けば気付くほど、現役生活を長く続けられる可能性は高くなります。

1-永井秀樹インタ写真 (5)

とはいっても自分が20代前半だった頃を振り返ると、コンディション作りにいまほど気を配る事はありませんでした。若い頃は多少無理をしても練習出来たので睡眠不足のまま練習していた事もありました。さすがに「二日酔いのまま練習」なんて事はありませんでしたけど()

 1-永井秀樹_プレー-(2)練習中は若手選手に積極的に声をかけてアドバイスを送り食事に連れて行ってはサッカー講義。*写真左は〝永井塾〟の塾生の1人、今季急成長した澤井直人選手。

Q 普段の睡眠環境について教えて下さい。

ベッドで寝ています。枕は首の位置が高めで硬いタイプが好きですね。ふわふわの羽毛枕は苦手です。いまの時期は薄手の掛け布団一枚。クーラーは苦手なので暑くても使う事はありません。本当は酸素カプセルのような「睡眠カプセル」みたいな器具が発明されたらぜひ購入したいと思います()

 1-永井秀樹インタ写真 (1)

Q 「Jリーグバブル」と呼ばれていた時代について。

いまの若い選手の中にはまだ産まれていない子もいます()。Jリーグに対するメディアの注目度、選手の報酬すべてがいまとは比べ物にならないような時代でした。若い選手に説明してもリアルにはわからないとは思いますが、ほんと、バブルでした。

 1-写真 (4) クラブハウスにクラブハウスに訪ねてきた村井満Jリーグチェアマン(写真右)。Jリーグの今後についてクラブのあり方など、有識者と、一選手という枠を超えて意見を交し合う機会も多い。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に通うなどしてクラブマネジメントの研究も続ける。

Q 当時のサッカーブームはある部分では人気先行だった。

ただひとつ言えるのは、Jリーグ開幕の頃は全部で10チームしかなかった。つまりいまで言えばJ1の10位以上のチームに所属している選手しか、「プロ選手とは呼べない」とも言えます。J2のクラブは現在のJFLより下になります。当時はそれくらいプロサッカー選手になるのは狭き門でした。
悔しいですけど、いまのヴェルディは当時のJFLにも入れないような位置にいます。もちろんヴェルディがこのままで良いとは全く思いません。 かつてのようにJ1で優勝争いの出来るクラブになると信じていますし、ヴェルディ再建、復活が日本サッカーのさらなる発展にも繋がると信じてます。
 

 

FC琉球から7年ぶりにヴェルディ復帰を決めた理由

 

若手に切り替えてチーム作りをしているいまのヴェルディに自分が戻ってくるとなれば、当然まわりからは批判される事はわかっていました。スタメン争い、レギュラー争いは若手との横一線の勝負になります。結果が残せなければ「永井、やっぱり駄目だったな」と言われてしまう。

 

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永井秀樹_プレー-(4)「もう十分、実績を残してきたのだから、いまさらヴェルディに戻らなくても良いのでは?」
「なぜわざわざ自分から苦労する道を選ぶの!?
と忠告してくださる方もいらっしゃいました。
でも自分はヴェルディが大好きだし誰よりも愛しています。であるならば「子供の頃から憧れ続け、プロサッカー選手の原点でもある緑のユニフォームをもう一度着て、自分に出来る事、恩返しをしなければ」と批判は覚悟の上で復帰を決めました。
とはいえ、必要としてくれる人がいなければ、いくら「ヴェルディのために」と言っても戻る事は出来ませんでした。
幸いにして「ヴェルディ再建に永井選手の力を貸してくれないか」とおっしゃって下さった方がいらっしゃいました。

本当にあり難いですし一緒に批判される事を覚悟の上で自分のヴェルディ復帰に尽力してくださった方のためにも「必ず期待に応えなければ」と自分に言い聞かせながら、いまもピッチに立っています。 

Q 今シーズンは劣勢の流れを1本のパスやドリブル突破で変えて勝利に導くなど活躍が目立ちます。まさにヴェルディスタイルをプレーで表現し欠かせない戦力となっています。あらためて永井選手の考えるヴェルディらしいサッカーとは。

永井秀樹_プレー-(5)ボールを常に保持してゲームをコントロールし自分たち主導で相手を圧倒して勝つ。憎たらしいほど強く観ていて楽しい。それがヴェルディらしいサッカーです。
自分もそういうサッカーをしていた読売クラブに子供のころから憧れていたから入団を決めました。
昨シーズン、ヴェルディに7年ぶりに復帰して当時の読売クラブの遺伝子はまだ失われていないと感じました。
もし自分がヴェルディに復帰した時、いきなり試合終了の1分前まで守備を固め続けて、最後、前に蹴ってカウンター1本で勝利を狙うようなスタイルでしたら自分の居場所はなかった。自分はそういうサッカーは出来ないし、したいとは思いません。

現段階でどこまで高いレベルで出来るかどうかは別にして「ボールを常に保持して、自分たち主導で相手を圧倒して勝つ」「観ていて楽しい」というサッカーを目指す姿勢は、クラブ関係者のみなが同じ想いを持ち続けています。

Q ヴェルディらしいサッカーについて、若手選手にはどう伝えて行きますか。

1-永井秀樹_プレー-(11)  1-永井秀樹_プレー-(7)

永井秀樹_プレー-(13)大変有難いことに、いま自分は若い選手と同じピッチに立ってプレーさせていただいています。これがもしプレーヤーとしてピッチを離れてしまうと「ヴェルディらしいサッカーで勝てよ」と若い選手に話しても心にはそこまで響かない。「そんなこと言ったって、勝たなければ意味ないでしょ。どんなサッカーでも勝てば良いじゃん」と思われて終わりです。でもいまは自分のプレーを通して、緑のユニフォームに染みこんだ読売クラブ時代からの伝統的なスタイルを表現することができる。
また自分だけではなく、同じくヴェルディのサッカーというものを理解している平本一樹(FW/25番)の存在も大きいですね。

チャンスを与えて下さっているクラブ、富樫監督を始めとしたスタッフ陣、選手、何より成績の良い時も悪い時も変わらず応援し続けてくれるサポーターのみなさんには感謝の気持ちで一杯です。

 

Q さいごに永井選手のこれからの夢について教えて下さい。

「自分にどれくらいのポテンシャルがあるか」「どういう立場が自分には向いているのか」という問題はありますが、間違いなくやりたいのは「サッカーの質」の追及です。 本当に夢のあるクラブ、日本式のサッカーで世界で勝負出来るクラブを作りたい。もしくは携われたらというのが夢です。

現場の指導者なのか、それともマネジメントなのかは、わかりませんが、made in JAPAN(メイド・イン・ジャパン)のサッカーで、とにかく世界で勝負できるようなクラブ作りに携わりたいですね。

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子供の頃から世界で勝負できるサッカー選手になりたかった。でも残念ながらその夢は適わなかった。プレーヤーとして世界で勝負する夢は若い世代に託して、自分はそれをサポートする形で夢を叶えられたらと思います。

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